私の人生における神様の御手
(GOD'S HAND IN MY LIFE)



1987年、私は世と私自身との正面衝突を経験しました。成功という私の美しい夢は暗く脅迫的な影によって汚されてしまいました。

仕事は失い、寂しさと退屈さは心理学者としての道を閉ざしてしまいました。

そこで、1986年の春の終わり頃、私は心理学の博士号を取得するため、また開発センターで やや知恵遅れの人々のための仕事を得ようと思っていくつかの州を回りました。

私が就職の申請をしますと、部署の担当者は骨を犬に投げやるように、他の誰もが欲しない食べ残しのような仕事を私に投げてよこしました。「それを取るか、去るかです。私は新しいボスです!」と、彼女は言いました。

「厳しく、深く、遅れている! なんと閉鎖的な部署であることか!」私は失望して引き下がりました。

これらの貴重な魂は、撚(ねじ)れた体に縛られ、吹きさらしの心のゆえに、最低限の必要さえも伝えることができないのでした。尿のにおいが大きな娯楽室に充満し、そこいる20人以上の人たちは恰も囚人のような有様でした。居住者たちの声高なわけの分からぬ騒音の中で、私は彼らの回復プログラムの作成という大切な作業を実施しました。

長年にわたる精神病院での仕事を通して、私は不安定な患者について非常に注意深い者となっていました。或る人たちは明らかに雑多な診断を受けておりました。例えば、吸い殻を拾おうと思って、突然スタッフメンバーたちを押しのけて走り出す患者の場合はそうです(訳注:著者によれば、この患者は自閉症で衝動を制御出来ない人とのこと)。多くが明らかに自閉症でした。他の人たちは一ヶ月か二ヶ月の幼児程度の知能で、付きっきりで面倒を見なければなりませんでした。ある若い女性は性病で毎日しかも一日中自慰行為をしていました。

後の数ヶ月、私は主に無視されたケアと行動管理のためのプログラムを書きましたが、殆ど無視されました。これらのプログラムは無意味な言葉の羅列による官僚的な廃棄物の山のようでした。

社会の屑が最低賃金ゲームをするのに雇われたようでした。聞くところによると、だれも見ていない時に、彼らはこれら無力な人たちと乱交パーティを開いたといいます。
この仕事は、既に出血している深手の傷の中をレーザー光線でスライスしていくようなものでした。時々、台風が私の中で巻き起こりました。その台風は、私の人格間の境界を破棄するぞと脅しをかけてきましたし、また私の奥の暗い部分を圧迫して私の心臓は張り裂けそうになりました。私の思いはむやみやたらに何度なんども折り重なって来ました。不毛な感情の高波が、私の衰えた自己意識に追い被さってきました。

ああ、暗黒!なんという暗黒!私は内と外の暗黒のなんと恐ろしいことか。私は影の中のライオンに追われるガゼルのようでした。ライオンがそこにいました。ライオンの匂いがしました。ライオンの息づかいが聞こえました。私はライオンに触れて、熱い息に滅ぼされると感じました。

「走れ!走れ!走れ!」。そうです、私は暗闇の中のライオンから逃げなければなりません。

私は娯楽室を飛び出して地面に身を投げようかと思いました。だれも見ていないようにと願いました。少なくとも、だれも問いかけたりしないように。夜の孤独はさらに恐怖が襲いました。この状態が夜遅く襲ってくるのでした。そこで私は夜の中へと全速力で突っ走ったのです。エネルギーの最後の一滴まで消費してしまいました。それから、気がおかしくなる恐れが和らいだとき、私はアパートに急ぎ戻って、もう一度ウイスキーをあおるのでした。

ウイスキーよ、おお、ウイスキーよ!ウイスキーをもう一杯。困ったときの友こそ真の友。何と甘い慰めであることか!ウイスキーは私の孤独感を癒し、また私の恐怖を洗い流してくれました。それはライオンを寄せつけしませんでした。ウイスキーは私の化粧じみた指であけた土手の穴をふさいでくれたのです。

長年にわたって、ウイスキーは私の楽しみと喜びの一部でした。私はウイスキーを愛する人たちとパーティーを開きました。それから、私は独り飲みを覚えたのです。私はよく飲み過ぎたのですが、そいうときの自分が嫌いでした。人事不省に陥るような飲酒により私は自尊心を失いました。また、自制心もなくなりました。ジャック・ダニエル(訳注:テネシー産のウイスキーで1866年ジャック・ダニエル氏によって開発された)と私は愛憎の踊りを踊りました。情熱的な恋人のように、私たちは自暴自棄の興奮により、お互いをまさぐり合ったのでした。

五ヶ月の間、私は地獄の苦痛を味わいました。私は近い精神衛生センターから子供をカウンセリングする仕事をもらったとき、光を見たと思いました。長年の間、子供たちは私の人生の恋人でした。

彼らの考えがのびのびしていること、また、感情に裏表がないことを、私は大切にします。彼らの甘い微笑と貴い心はは私を癒してくれます。私の心がどんなに砂漠のようであっても、生き返らせてくれます。

この仕事ですべてがうまく行きました、申し上げることが出来ればホントによいのですが。しかし残念ながら、ある時から何かが間違ったことに気が付いたのです。セラピストたちは次々と去って行きました。牧会カウンセラーが首になったとき、私は深い悲しみを感じました。

私には周りを思案する時間はありませんでした。私はセンターでカウンセリングをしたり、情緒障害児のための最初の保育園の設立などで非常に忙しかったのです。六ヶ月以内に、登録のための補欠人名簿がありました。私はゲットーに入って行って子供を探してはフォロ‐アップをしました。私の責任が急速に拡大したのです。

私の直属の上司が去ったので、彼女の仕事の半分が私の上に追い被さって来ました。私は週は二晩は学校へ、そしてセンターでの週一晩の電話番では私にとっての大切な時間をほとんど持てませません。

私の持っていたわずかばかりのエネルギーがあらゆる方向に吸い取られてしまいました。私の息子の将来のことがいつも心配でした。1985年12月に父親と同居すると彼が決めた時には私の心はとても痛みました。知能の高い知事の息子が学校生活に失敗して、狂気の輩(やから)に追随して遂にはマリファナとその集団の縄目に突き落とされるのを私はなすすべもなく見ておりました。

私の労働を緩和するためにもう一人のカウンセラーが雇われました。私の六ヶ月間の働きの検証をするために、私はディレクターから呼ばれましたが、そのとき、彼女はこの人物が一度も来なかったと言いました。彼女は当分の間は支援を得るのは不可能と断言しました。

何かが彼女のドライな言葉に私の中で何かがプツンと切れた感じがしました。私は涙ながらに三人分の仕事は出来ないと言って拒否しました。私は一つの仕事、ただ一つの仕事だけをやります、と言いました。

翌日、彼女は朝早く保育園にやって来ました。彼女が私に解雇の手紙を手渡した時の彼女のクールで無関心な態度を、私は決して忘れないでしょう。

絶望の感覚は即座に怒りに取って替わりました。彼女は二度と私の悲しみを見ないでしょう。私は一生懸命働いて、大金を生み出すものを創り出したのに、すり減った靴同様に捨てられてしまいました。この火のような怒りは、私にとって最初で最終でした。

私の霊の暗くなった光の中、絶望した者の叫びを聞いてくださるようにと、私はイエス様に向かって叫び求めました。私は何ヶ月もの間、霊的な飢え渇きを持って、教会から教会へと渡り歩きましたが、相応しい教会を見つけだすことは出来ませんでした。突然の私の孤独な状況は私の知る限りの最も長い夜でした。私の魂は、霊のあまりにもひどい干ばつの中に苦悶しました。

「どうか、どうか私の祈りを聞いてください。どうか、どうか私をお助けください」、と私はイエス様に請い求めました。「私はお金もなく、気力もなく、命もなく、ただ孤独と極貧のみです。」自殺という暗い思いが私の心を過(よ)ぎります。ジャック・ダニエルとライオンが勝利しようとしていました。

孤独の中にあって、私の心は情愛深い男性に会いたい気持ちでふらふらと揺れました。私は毎日こんなことばかり考えていましたが、常識の方がまさっておりました。男を拾っては虐待され罵倒されては別れたのでした。私は31歳までに四回結婚して離婚し、この七年間は独身でした。

人間関係では、私は幼いときから審議未了事項を追体験していました。精神分裂症(訳注:統合失調症)を持っていた私の父は、私の妹を愛しましたが、私を嫌って拒絶しました。私が父の膝に座ろうとすると、彼は繰り返し私を押しのけては、「乗れ!」と卑劣な声で言いました。

深い内面において、私はすべての男性から拒絶されることを恐れました。この深い感覚の欠如のために、私は無条件の愛を知ることと、与えることがありませんでした。私の心の最前面にはいつもこの拒絶がありました。そして、私の最も孤独な時代にそれが巨人のように雷鳴のような足音を立てて私の感情へ向けて突進して来たのです。

ある夜遅くのことです。私がジャック・ダニエルに浸る中でイエス様に請い求めたとき、なにか優しい暖いものが私の寝室を満たしたのです。大いなる平和が内に入ってきて、私を幼児のように甘やかしてくれました。こんな平和を旦て私は味わったとがありません。ある明るい輝きが私の部屋の片隅を照らしました。

「子よ、私はイエスです。おいでなさい、そして、私のひざに座りなさい。私はあなたを拒んだりはしません。父親に対するあなたの心の傷を癒してあげましょう。」

私はこの輝きに心を奪われました。すると突然、イエス様は彼の聖霊の中で私を拾い上げてくださいました。そして、私は彼のひざに座りました。どれくらいの時間であったかわかりません。私にわかっていることは、その日から後、父に対する悪感情は一度も持つことはなくなりました。その夜、イエス様は私の心を癒してくださったのです。

「それは少しおかしいんじゃない?」と、恐らくあなたはお尋ねになることでしょう。


ホントにそうなのです。これは本当のことです。この経験の後、私は何日も愛で輝いていました。無一物であった私に希望が与えられました。悲しみしか知らない私に喜びがもたらされたのです。このことによって、イエス様が実際であり、完全に失われ見捨てられた者の祈りを聞いて下さるお方であることがはっきりしたのです。イエス様は命と生きる願望を私に与えて下さいました。

このような経験にもかかわらず、私の環境はいろいろな意味で依然荒涼たるものでした。お金がない、仕事もない。しかし、お金では買うことの出来ないもの、奇跡を与えられたのでした。

数日後、隣人に私が睡眠で困っていると話しますと、「L-トリプトファンを試してみたら。」と言う返事でした。

私はそれを買って、二週間の間、一日あたり六個のL-トリプトファンのカプセルをのみました。二週間目の終わりまでには、ライオンは再び戻ることなく追い出されていました。

数年後、私は1985年の後半に受けた子宮摘出で生じたホルモンの失調からパニック発作を起こすということを学びました。また、私の免疫システムは自己免疫疾患によって弱くなりました。

1987年3月下旬のある日曜日の午後のことです。確か火事の二週間後のことです。また別の霊的な経験をしましたが、その時の驚きで私は完全に打ちのめされ、長い間精神的に大変苦しみました。この経験は酒(the spirits)の飲み過ぎとLSDから来る思いの経験だろうとあなたはお考えでしょうが、しかし「会堂のネズミのように冷静」という諺の通りに私は冷静だったのです。

私は日曜日の午後、昼寝をしようとソファーの上に横たわっておりました。眠い目で一枚ガラスの窓から遠くの雲を眺めていました。それが夢であったか幻であったかはわかりません。しかし、いつまでも続いた事が私の人生を変えてしまいました。

突然、私は他の場所に一人でいる自分に気が付きました。それはパーティーをしたり、ピクニックに行くような所ではありませんでした。他には誰もいないし部屋も景色もありませんでした。私の右手に豪華な金の飾りの付いた黒いドアがあって、そこを通って入ることができました。あるいは、左側の白い階段を昇って行くこともできました。その階段は白壁の後ろで見えなくなっていました。

私はしばらくそこに立って、どちらに行こうかと考えました。最初の方、それとも他の方。どちらか一方を選択しなければならないことははっきりしていました。

金の飾りの付いたドアに取り付けられた無数の明るい飾りに私は魅了されました。一体誰がこんなけばけばしい装飾の黒いドアを所有しているのでしょうか? 選択の余地はありません。すぐに決定しました。この金の飾りの付いたドアを通って行きましょう。このドアは豪華な低い山々に囲まれた、眠たげな、曲がりくねった通りに向けて開いていたからです。

私は前に進んでドアの取手を引きますと、それは簡単に私の方に動きました。これは何かのトリックかな?そうだとすれば、だれがこれを作ったのでしょう?この魅力的なドアが黒い壁に向けて開いたからです。

困った私はどうせまた失望させられるかも知れないと思いつつも、階段の方に向きを変えました。好奇心もあったのです。私は階段を少しづつ上り始めました。ところが上るのがとても困難な仕事なのです。まるで足に鉛玉の重りを付けて歩いているようでした。

少し経ってから下を見ると、驚いたことに階段の下の部分がもう見えないのです。好奇心に刺激されて私は前進しようと決心しました。不吉な予感を感じるのが普通なのかも知れませんが、私の心にそんな気持ちは全くありませんでした。私の足は自動操縦装置の上にあってどんどん上の方へと上って行きました。

そのうちに、あの過度の重量感は次第に感じなくなってきました。重力の牽引力が減少して来たのです。私の足が一歩一歩滑走しているようで、私の身体はますます軽くなっていきました。喜びの感覚と内側の平和の気持ちが私を覆いました。

私はどれほどの時間上昇していたのかわかりませんが、気が付くと私の服がなくなっていました。それのかわりに、私は非常に美しい流れるようなきらきら光る金白色の光のガウンを着ていました。私の目がガウンの輝きに気が付いたとき、突然、驚きと意気揚々とした歓びが私を包みました。

それから、輝く金白色の光が階段をほのかに照らしているのに気付きました。その光の源はわかりませんが、光の力が私を素早く引き上げて階段を上って行くことはわかっていました。この光が直接私を引っぱり上げていたので、私の足はもう階段には触れていませんでした。何秒かの間に、私は階段の終点にやって来ていました。

優美なガウンが光の中で優しくなびいていました。私はこの階段の端にいて、両開きのドアの前に立ちました。このドアは金白色の光の大きな海に向かって開いていました。その広大さと魅力は全く夢中になる程でした。その光は純粋で並ぶももない壮麗さという完全なメロディーを創り出し、私は喜びと平和で満たされました。それは私の魂の中にまで浸透するような高い音階の天の交響曲でした。

私は両開きのドアを通って栄光の光の海の中に踏み込んで行きたいと切望しました。私はついに家を見出したように思えたのです。

私はびっくりしました。「戻らなければなりません」とその光が言ったのです。

突然、私はアパートに戻っていました。私は親か親友を失った子供のような気分でした。私の環境のわびしさが幾重にも拡大されてしまい、私は自分でも制しきれないほどに泣きました。私は冷たくて冷淡な世の中にあって、私の人生のとげは制御できないと感じました。

「神様はこんな方法で私をからかうとはなんと残酷な方でしょう。家のすぐ側まで連れて来ておきながら、なぜ連れ戻したのですか。こんなに美しいものを、ほんのちょっとの間見せただけで、なんですぐに取り去ってしまったのですか?」

理由はわかりません、ただ疑問が残りました。今度何が起きても私は以前の私ではないでしょう。私は完全に変わってしまいました。

世的な経験が途中でストップさせられたのなら、時間が経てば、他の何か良いもので紛らすことが出来るものです。しかし、階段を上って行く旅は始まりに過ぎませんでした。その光は私を永久に変えてしまいました。異常な経験は私の単純な心に侵入し始めました。私は他人の体の周りのエネルギー界(訳注:例えば電界や磁界のような「界」の意)を瞬時に見抜くことが出来ます。しばしば、私はこれらのエネルギー界は様々な層に明瞭に分けることが出来ます。他の時には、私が他人の病気をちょっと見ると、暗い塊のように見えることがあります。電線が電流と一緒に踊るのが見えます。壁のソケット、パソコンまたは電子レンジの周りの電界は見るとすぐにそれとわかります。暗黒の任務を持つ死の霊たちや不吉の霊たちが私の世界を塗りたくりました。しかし、すべてにまさって最も美しくへりくだっているのは炎のような目を持つ白いローブを身にまとった多くの守護の天使たち(guardian angels)です。

生来、私は悪魔的な存在と肉体を持たない霊たち(死者の霊、彼らは天にいる筈なのに地上にいるのです)の識別が出来ました。しかし、私の最大の疑問は「私は彼らについて何が出来るか?」ということでした。

人々がこの悪魔的な存在を背負って行き来するのを見るに付けても、何とも恐ろしくもあり、また興味深くもあり、言葉に出来ないほどです。時折り、レストランに行ってよく見ていると、10や15あるいは20もの悪霊たちを背負った客が出入りするという実に恐ろしい光景を眺めることもありました。「この人たちはこんな霊たちに憑かれて一体何をしているんでしょう?」

私が怖いのは、「見ること」についてコントロールが出来ないことでした。私の目が別の世界に開かれている時に、突然、自分の問題で手一杯になると、それ以上どうすればよいのかわからなくなってしまうのです。

神様は自分で制御できる力をあなたには与えない、と私に言われました。しかし、この点で私は神様に挑戦したのです。結局、私にはこの問題を取り扱うことができませんでした!

私は今起こっていることへの恐怖感の虜にされました。私はこの恐怖から逃れるためにジャック・ダニエルに走りました。私の孤独感は他人の反応によってさらに複雑化しました。「あなたはお父さんそっくりね。」と、私の母が言いました。私が自分の経験を話し始めると話の途中でカットされたり、電話は途中で切られたりしました。みな私が気狂いだと思ったのです。私の長年の親しい仲間の心理学者さえもが私のことを精神分裂病だと思うと言いました。私は様々な教会に相談して、様々な牧師たちと話をしました。彼らは私が枚数の足りないトランプを配っているようなものだと言うのです。私は引き下がるしかありませんでした。

神様は、その頃私に何か他のものを与え始められたのです。人の心を知る不思議な能力、特に霊的な事柄に関するそのような能力を与えて下さいました。教会を訪問して牧師と話していますと、私は神様と彼との真の関係の姿を見ました。私が見たものの故に教会は私を退け始めました。牧師が私に起こった出来事を説明できなければ、私は彼の教会に属する者ではありませんでした。彼らが神様との密接な関係を持っているなら、神様が私に何か特別なものを与えられたことを認識出来る筈だと私は推論しました。

私は手当たり次第に霊的な本を読み始めました。私はその五、六年以内に本代に何千ドルも費やしました。キリスト教、仏教、ニューエイジ、アメリカ・インディアン、また他に霊的な人生の旅路を歩んだ人の本も読みました。読んで特に何かを得たということはありませんでした。ただ、読んだ、ということです。私がこのような読書と研究から得た最大の霊的な利益と言いますと、識別力が洗練されたことです。私が本を読んでいると神様がかすかに私に語って下さいました。するとすぐに私は読んでいた本の真相を知ることが出来たのです。識別力を養う学校が私には必要でした。即ち、これが真理なのか虚偽なのか、神が語っておられるのか、あるいは悪魔が語っているのか、または著者が神からである振りをしているのかどうか、を識別する学びが必要でした。

多くの人は恰も神様が語っておられるかのように書くでしょう。だれが本当に語っているかを知る賜物は、神様から彼の聖霊を通してのみやって来るのです。これは実際における識別力の賜物であって、またこれは忍耐と信頼のテストでもあるのです。

私はこの恐るべきアルコール中毒から何とか癒されたいと切望しました。そこで1989年の春に、私はアルコール・リハビリセンターに入りました。このセンターに来てから間もなくして、私は一人の貴い霊がこのセンターの中に捕えられていることに気付きました。彼女が私の隣の部屋を好んだので、私はベッドから夜ごと彼女を観察していました。彼女は若い女性でしたが、まるで60年代にいるような服装をしていました。私は彼女が年配の男性と一緒にボートに乗って大きな湖を漕いで回っているイメージを見ました。彼女がこの湖で命を失ったことは見えませんでしたが、この湖で溺れて亡くなったという強い感覚がありました。

その部屋には二人の女性が入居していましたが、その二人に霊が取り憑いたのがわかりました。怯えた彼女たちはよく夜中に大声で叫んでは玄関の広間に駆け込んで行きました。
みんなが早朝のクラスのために階下にいた時、この取り乱した霊が上の階の廊下を歩き回っているのが聞こえて来ました。他の人たちが巨大なテーブルの回りにいる人たちを見回しながら頭数を数えているのを私は見ておりました。

ある夜、私は力の限りを尽くして主を呼び求めました。「主よ、私はこの失われた魂の惨めな様を見て悲しくて仕方がありません。どうか、お願いします。あなたの貴い御使いたちを送って、彼女をあなたの所へと導かせてください。」

二人一組の美しい白いローブとフードで装った守護の天使たち(guardian angels)がやって来ました。1989年の春の夜、その貴い魂は家に連れられて行きました。神に栄光!

リハビリセンターを出たとき、私にはお金がなくて行く宛てもありませんでした。13歳のときに父親(訳注:即ちリンダの前夫)に連れられて行った私の息子は最悪の麻薬常用者になっていました。16歳になって彼は私と同居するために戻って来たのですが、全く矯正の見込みのない状態でした。アルコール中毒患者がどうやって麻薬中毒患者の面倒を見ることが出来るでしょうか?彼が17歳のときに、救済団体の人がやって来て息子を施設に入れて回復させようとしましたが、息子は彼らを遠ざけて引き籠もってしまいました。

リハビリの後に、イースターという名の黒人女性が私を連れに来ました。彼女はアリゾナ州リトルロックの最も危険な場所に中間施設を持っていました。私たち六、七人が二つの小さな部屋を共同で使用して、食費と施設費として週25ドルを支払うことになりました。私は雑役の仕事をしながら祈りに祈りました。日々の私の思いは、もう二度と後戻りをしたくないということでした。私は二度アルコール中毒にかかり、ホームレスの生活をしていたのです。私は嘗てバーで働いていました。それで日ごとの貧弱なモーテル代、それに食事とジャックの分でちょうどでした。思い出すと、今でも涙が出てきます。

アルコールと麻薬は人の人生を、思いも寄らぬ方向へと速やかに奪い去ってしまうものです。中毒は治癒困難で致命的な病気です。中毒を持つ人々は、昼夜を問わず、非常に多くの悪魔的な存在によって悩まされ追い詰められています。この悪魔的な存在は、無知な人々を引っかけては飲酒と麻薬へと駆り立てるのです。悪霊どもは妄想を供給し、妄想は中毒を煽(あお)るのです。

三ヶ月後に私は中間施設から引っ越しました。神様は私を田舎の或る場所に連れて行かれました。幸いなことに、賃貸料は月にたった百ドルでした。息子が帰って来ましたが、彼にはまだ中毒がありましたので大変でした。

ある午後のこと、息子がぼうっとして仕事から帰って来ました。「あなた、今日、何か打ったわね。わかってるわよ。」と、私は言いました。
「いや、ママ、そんなことないよ、ホントだよ。」

しかし、荒れた目と落ち着きのない振舞いが別の真実を語っていました。彼の背後には亡霊(肉体を離れた死者の霊)がいました。その霊が息子が打つのをそそのかしているのがわかりました。少しばかりの間あちこちチェックしてから、問題ないよ、と私に言いました。

亡霊とは死んだ人々の霊なのですが、彼岸に渡るのを拒否している霊のことです。彼らは死んでいるのですが、人生の或る事柄に執着して、そこから離れることが出来ずにいるのです。私たちの体が死んで肉体を離れても、なお選択することが出きるということを殆どの人たちは知りません。

移動住宅に引っ越して間もなく、私は別の霊を意識するようになりました。夜、その霊が音を立てながら鍋やポットの間を行き来しているのが聞こえます。しばらくして、この霊は物を手に取り始めました。特に私の息子のタバコを盗むのが好きでした。ある日、台所を掃除していますと、私が少し前に飲んでいた一杯の水をその霊が盗んだのに気付きました。
私は座って、魂の深みから深い祈りをしました。すると、白髪の年配の男性の霊を見ることができました。私は貴い御使いを送って、この霊を御許に戻して下さるようにとイエス様にお願いしました。するとすぐに、白装束の二人の守護の御使いが私の方に向かってやって来るのが見えました。一人が手に白いローブを持っており、それを私に渡して言いました。「これを取って着なさい。これは神様からあなたへの贈り物です。」

そこで私はその白のローブを受け取って着ました。それ以来ずっと今日に至るまで私はそれを着ています。御使いたちはこの哀れな魂を間に挟んで連れ去って行き、私の視界から姿を消しました。

私の息子については、彼は二度リハビリに行きまして、この三年はきれいな状態です。でもまだ、私たちの間には何マイルもの距離があります。彼は霊的な戦をしています。彼は自分の失敗を私のせいにしては私を非難して赦してくれません。ホントに悲しいことです。私は心から息子を愛しています。

1990年の秋までは、私は本当に孤独だと感じていました。神様が私の余生は独身がよいと望んでおられるなら、それで結構ですと神様に申しました。何よりも、私は神様の御心を行いたかったのです。

最後の結婚以来、私は11年間独身でした。友人は欲しいと思いましたが、結婚については真剣に考えませんでした。失敗の恐怖があまりに大きかったからです。ある夜、私はイエス様に向かって心の深い痛みや古傷などあらゆる悲しみをさらけ出して交わりました。すると突然、大きな平安が私の中に満ちたのです。神様が私のためにだれをも用意しておられなければ、それが御心ですから、それで平安の内に居続けましょう。何よりも、私は神様の御心を生きたかったのです。

イエス様との会話の後およそ一ヶ月くらい経って、私は夢を見ました。この夢の中で、ある男性が私に近づいて来て私の腕を掴みました。私たちは上と下から白い純粋な光に包まれて、固い水晶の歩道を歩いて行きました。歩道の終わりで私たちはこの純粋な白い光の輝きの中へと進んで行ったところで夢が終わりました。

「ねえ、神様はだれかを私に送ってくださるわよ。」と、私は息子に言いました。

二三日して、家に手紙が来ました。「ハッピーバースデー・クラブへご招待」と手紙にありました。これは間違いなく詐欺に違いないと思いましたが、関係者の様々な名前と住所と電話番号が載っていました。手紙には返事をするようにうるさく言っていました。

リトルロック市のデニス・ニューカークと記載されています。一ヶ月くらいして、私は詐欺かどうか確認しようと思ってそこに電話をかけました。二三週間の間に電話で何度かやりとりした後で、一緒に食事はどうですかと彼が言ってきました。私はすぐに、この人が夢の中で出会った人であるとわかりました。短く、黒い髪の甘い霊を持っている人でした。

何週間か経って、私はこの人が好きになり始めているのがわかりましたので、彼と一緒にいる時を大切にするようになりました。彼は最近離婚して借金で苦しんでいました。どちらも無一文だったのです。
1981年以来私の免疫力は弱くなっていましたので、熱が出ると激しい関節炎や吹き出物や発作を起こしたり他の病気に罹りやすくなっていました。奇妙な病気で私は長年苦しんでいたのですが、それが何故なのか分かりませんでした。私たちが結婚したとき、いったいどこまで私の病気が悪くなるかわかりませんでした。病名を挙げることは出来ません。しかし時間が経ってみれば、夫は本当に病気に罹りやすい者と結婚したことがわかるでしょう。

四ヶ月の付き合いでお互いを知り合ってから、私たちは結婚しました。およそ七年前のことです。私たちは今も同じ所に住んでいますが、お金の使い方に気を付けなければなりません。私が1973年に受けたシリコン注入式豊胸手術に関連する免疫システムの失敗のために長い間働くことができませんでした。

日々多くの女性たちを殺している事態に関して、医師や医療機関、大学研究室、報道機関などがこれほどの大きなスケールでもって虚偽により隠匿しているとは、私は考えたこともありませんでした。薄っぺらな胸を隠すために豊胸手術をしようと決心したことが私にとって堪えなければならないもう一つの十字架となったのです。ソロモン王だったら「空だ」と言うのでしょうが。

このような移植が病気を引き起こすとわかって、私はすぐにそれを摘出してもらいました。しかし、さらに悪いことに、外科医が取り出したシリコンを私の胸壁にこぼしてしまったのです。単に口やかましく言っていた免疫の問題が深刻な問題となったのです。私は本格的な皮膚結核(systemic lupus)を起こしてしまいました。末梢神経が炎症を起こして壊死し始めました。脳に白い斑点が現れ、前頭葉は縮み始めました。私はとても疲れるようになって、自分の名前をほとんど覚えていることができないことが時々でしたし、記憶喪失は毎日のことでした。

しかし、私の貴い夫はいつも私のそばに立っていてくれました。彼は多くの奇妙な病気や入院の時にも、いつも私の手を取っていてくれました。彼は救急治療室まで何度も一緒に行ってくれましたし、一年四ヶ月の間私の側にいて髄膜炎の恐ろしさを目撃しました。私が日々生きていることをデニスゆえに神様に感謝します。このような苦しみのただ中にあっても、神様は私の思いからは遠くありませんでした。私は長年にわたって朝四時に起きて祈ること、御言葉を読むことと瞑想することを実行してきました。時々病気のせいで私の心が大変暗くなり、祈りに集中できないことがありました。しかし、私は辛抱して、教える人を送ってくださるようにと、毎日イエス様にお願いしました。イエス様が教師を送ってくださるなら、起こった出来事を理解することが出来るし、霊的に強化されるかもしれないと私は考えました。他の人には霊的な教師か導き手がいるのに、なぜ私にはいないの?

夫と私とが結婚しておよそ六ヶ月後のことです。黙想の時にだれかが私に話しかけているのが聞こえました。この声の存在のおかげで私はすばらしい平安に包まれました。じきに、この人を見ることができました。彼は自分が預言者モーセであることを認めました。彼の容貌は白く光り輝いていました。白装束で白くて長いあごひげを生やしていました。はじめ、私は驚き恐れました。この人は本当にモーセでしょうか。もしそうなら、なぜ彼は私を選んだのでしょう?

1991年の春に始まっておよそ六ヶ月の間、殆ど毎日のように彼は現れ続けて霊の事柄を教えてくれましたし、また霊的な理解に欠けている部分を補ってくれました。彼はイエス様と父エホバに関する簡潔なメッセージを私に与えてくれました。私は心の奥深い所でこの人がモーセであると分かりました。言葉はとてもシンプルでしたが、慰めに満ちていました。

私はサンフランシスコにいてホームページを開いている人物にこのメッセージのことを交わりました。彼はこれらのメッセージに興味を持ち、他の人たちにもこのことを交わりました。間もなく、今度はイエス様がモーセに替わってこれらのメッセージを下さるようになり、恰も親しい友のように私に語り始めて下さったのです。私は長い会話の間ずっと座って、彼が語らられることを記録しました。イエス様はさらに大いなる霊的な理解を私に与えて下さいました。また、人々が愛の律法と十戒の生活に戻らなければ、問題の多い時代に直面するであろうとの厳かな警告を与えられました。

当時、私は方々から攻撃を受けました。悪魔礼拝者たちがこれらのメッセージを発信した男性を探しに来ましたし、毎日彼らはこの男性を殺すと脅しては彼を愚弄しました。イエス様を信じていない他の人たちは私への悪口を言い広めました。これらのメッセージは、大多数が霊的に破綻した地域において大々的に拒絶されました。

悪魔礼拝者のカルト集団が子供たちと乱交パーティを開いたり、子供を犠牲にさえすることを神様からビジョンとして見せられた時には私はとても悲しくなりました。この恐るべき話に捕らえられて私は意気消沈してしまいました。このことで、日毎に私の心は平安を失っていきました。

ある日、私は言いました。「イエス様、どうやって戦うのですか。この邪悪な者たちに対してどう立ち向かったらよいのですか。毎日このようなものを見るのは耐えられません。」

イエス様は言われました。「子よ、それらを縛りなさい。邪悪な悪霊たちを縛って追い出してしまいなさい。」

私は見事な光の剣を帯びた戦う御使いたち(warrior angels)を呼んで、彼らの助けを求めました。私は神の霊の中に入り、巨大な御霊の網を取って、それを巨大な暗黒の醜い悪霊の周りに投げ掛けました。御使いたちは戦いました。彼らは、しゅっと音をたてて呪います。彼らは強力です。私は自分が赤子のように思えて助けを叫び求めました。霊的な幼子にとって、叫び求めることは偉大な仕事だったのです。しかし、御使いたちと私は耐えました。今でこそ解っているのですが、その当時は自分で聖霊を補充する方法を知らないものですから、この戦争は私のエネルギーの最後の一滴までも使い果たしてしまうのではないかと思ったほどでした。いずれにしても、私が現在やっておりますように神の聖霊を多量に蓄える程度にまでは至っていませんでした。

こうして、私は戦い神様のために勝利を収めましたが、それは小規模なものでした。私が失ったものもありました。ますます病弱になったのです。しかし、それでも私は辛抱しました。出し抜けに、だれかが、悪魔崇拝へと失われた人がいると言って私を呼び出します。そこで再び、私は霊の中で御使いたちと一緒になってこの邪悪な者たちとの戦いに出撃しました。

神様はこの何年かの間に悪霊たちを探知することで私の視力を増幅して下さいました。私たちの家の中や、夫と私の回りに悪霊たちが居ることを私は絶対に許しません。彼が働いている精神病院から家に戻るときに必ず悪霊たちがくっ付いて来るのです。私は毎日イエス・キリストの名の中でこの悪霊たちを縛っては、イエス様が彼らをしばし解放されるときまでの間地獄の穴の中へと送り込むのです(訳注:啓示20:3)。体を失った霊たちのためには、前にも申しましたように、守護天使を呼んで、彼らに天へと行くように霊たちに対して説得して貰います。霊的な戦争は神様のための私の仕事では複雑な部分でした。これは戦争であるわけですから、私が進んで求めるものではありませんけれど、人々が自由になるかも知れないのですから、私は喜んで私の神様のために働いています。

神様の恵みによって、1989年4月25日以来私は一滴のアルコールにも触れていません。神様が、私を癒すと言ってくださったのです。医師が嘘をついた乳癌は着実に縮まっています。そして、自己免疫疾患に関する問題は栄養剤を取ることで十分に制御されています。イエス様はメールからどれを取捨選択するかについての情報を送って下さいました。私は信仰と信頼を彼に置いています。そして、イエス様が彼の愛と同情と忠実そして憐れみを通して絶えずご自身を啓示してくださいますので、私の信仰は着実に成長しています。私は心の奥底からイエス様が私たちの救い主であることを真に知っています。この知識なしにはだれも預言することができません。

以下において、イエス様と私たちのいと高き神エホバによって私に与えられた霊的な経験を交わります。これらの経験があなたの霊的な歩みが強化されるための助けとなるように希望します。

私がイエス様について語るとき、彼が父神と一つ(ヨハネ10:30)であることを覚えていてください。イエス様は私に言われました。「私が枝であること、また、私が木としての父であることを見なさい。」イエス様が諸文書の中で、「私はイエスです。そう、エホバいと高き神です」、とサインされる際に、彼が父と一つであることを覚えていてください。イエス様は道であり、真理であり、命(ヨハネ14:6)であり、また、光(ヨハネ8:12)であることを知るべきです。彼はあなたの道であり、あなたの真理であり、あなたの光であり、またあなたの命なのです。このことを徹底的に理解してください。また、心の底からこのことを知ってください。これがイエス様の性質です。

カリフォルニアで悪魔とのもの凄い戦いがあった後に、私はしばらくの間書くのをやめました。病気が非常に重くなりましたので、兎に角生きることを優先しました。それでも、私は午前四時頃起きて聖書を読み、祈り、黙想するようにして来ました。1995年と1996年には私の上にのしかかった重荷のために私の心はとても重くなりました。

私の胸にシリコンを落とした医師に対し、あの無責任な豊胸手術の費用を返済して貰おうと決心しました。しかし、私が如何なる返済請求、訴訟またその類の事柄に時間を費やすことも神様の御意志ではありませんでした。私が開こうとしたすべてのドアを神様は閉じておしまいになりました。また、神様は他の人たちを徹底的に私に敵対させられました。一人の女性が私をつけ回し始めていて、それが一年半以上もの間続きました。

私はますます主の中へと撤退しました。私の目が覚めている間はいつも彼ご自身とその威厳を思うことに私の心を満たしていました。一息一息毎に彼と彼のご目的が私の心から遠く離れることはありませんでした。私は何よりも彼のみ前で謙遜と服従の中を歩くことを願いました。

何ヶ月もの間、私の早朝の祈りは同じ祈りでした。「神様、私たちに道をお示しください。暗闇の中に私たちを捨てないでください。お願いです、どうか、どうか私たちをお助けください!」

1997年5月9日の夜のことです。私は大いなる暗闇の中を夫と一緒に歩いている夢を何度も見ました。強力な目を持ち、白い服を着た一人の人が夜通し、何度も現れては私をせき立てるようにして、詩篇を読みなさい、と言うのです。私は午前三時頃に起きてリビングに行きました。私は神様に祈って、この夢の意味は何ですか、と尋ねました。彼の愛に満ちた声が言われました、「詩篇第18篇を読みなさい。」

大急ぎで、私はその箇所を読み通しました。この詩篇は主が多くの敵の手とサウルの手からダビデを救い出された日に、彼が主にむかって述べた歌の言葉です。28節に来たとき、神様はこの詩篇を通して私に語っておられることがわかりました。28節は言います、「あなたはわたしのともしびをともし、わが神、主はわたしのやみを照されます」。これを読み返すとき、私はこれらの言葉の中に強力な予言を見るのです。私は神様の愛によって深く深くへりくだらされています。

1997年5月15日には、以前私が勤めていた学校に戻ろうと思って旅をしている夢を見ました。私は道に迷ってしまい、気が付いてみると、私は山の外側を迂回している狭い山道にいました。私の車のヘッドライトは点灯しません。私は眼鏡を掛けていなくて何も見ることができません。私を助けてください、道を探してください、と私は一生懸命に神様に祈りました。(この夢は自己という暗闇の山に依存しないで神様を求めることを教えています。地的な眼鏡はこの旅には何の役にも立ちません。これは暗い山から主の山への飛躍をもたらします。この時点で私は予言を受けることと彼の霊の中で成長するに際して、彼の聖なる山が大きな役割を果たすということに少しも気付いていませんでした。この夢は彼の中での新しい段階へと私をもたらしたという点で非常に重要なものです。数年前まで、そんなことは一度も考えたことなどありませんでした。続けてお読みください。)


突然、私は明るい光に照らされた丘の麓にいました。二人の子供がいたので、私は学校への道を尋ねました。

教えられたとおりに行くと、すぐに学校が見つかりました。(これは預言者の学校です)。それは山の頂上にあって、金白色の光によって明るく照らし出されていました。

他の一人の人も、この人は私と一緒ではなかったのですが、同時にこの学校を見つけました。この学校の人で白い服装をした人が、私たちに挨拶をしました。この白装束の人に私は暗い山で道に迷った経験を話しました。私たちが照り輝く山に立っていると、白装束の人は何かアイスクリームのようなものを私たちに食べさせてくれました。(これは似てはいますがアイスクリームではありませんでした。)

食べた後で、私は谷の向こう側の遠くの山々に目をやりました。山々の頂上付近には霧がかかっていましたが、私はその遠くの丘に書いてあるものを読むことができました。夢の中で完全なビジョンを見たことに私は驚いてしまいました。(こんな幻を今まで見たことなど一度もありません!)


1997年5月16日の早朝、瞑想の中でイエス様は「多くのビジョンをあなたに与えます。恐れてはいけません。私と一緒に歩きなさい。」と言われました。(この時点では、私がいくつのビジョンを見せられるのか知る由もありませんでした。しかし、彼が与えられたものを読み研究するなら、これらの言葉の深さにあなたはきっと驚かれることでしょう。)

その時以来、実に多くのビジョンが与えられました。私は伝道の書1章18節を思い出します。「それは知恵が多ければ悩みが多く、知識を増す者は憂いを増すからである。」
眠りこけている人々のことで私の心は深く悲しんでいます。間もなく、戦争と破壊が米国と世界の大部分に降りかかるのです。

以下は以前私に与えられた非常に恐るべきビジョンの中からの抜粋です。

1997年5月24日の朝、私は悪魔が地球上に立つのを見ました。彼は世界の指導者たちに、特にアメリカ合衆国の指導者に操り人形の糸を取り付けていました。最も黒くて最も重い糸が米国の議会に、もう一つの糸が国際連合に、一つがロシアに、ドイツに一つ、中国に一つ、メキシコに一つ、アフリカに一つ、そしてアラブ連合に一つ取り付けられました。これらの糸は大きくて、黒くて、重いものでした。
それから、イエス様が「見なさい!」と言われました。

私がよく見ますと、赤くて有毒な雲がロシアから出現するのが見えました。それが大西洋を突き進んで渡って、また海底にまで達します。黒い潜水艦が米国を取り囲んで深い海域を静かに潜行しました。次に、見張り搭に一人の男がいて、「準備完了」と言うのが聞こえました。

見張り搭の下には「USSR(訳注:ソ連)」と書かれています。見張り搭の兵士は米国を監視していました。

彼が監視していると、黒い嵐の雲が米国の上空に集まって来ました。そして、サタンがロシア、ドイツ、中国、メキシコ、アラブ連合および国際連合の太い操り糸を引きました。すると彼らは米国に向かって一列に並びました。

それから、イエス様は言われました。「見なさい!」

生まれたばかりの赤子を抱いた母親が見えました。その母親の足と手首が鎖で繋がれていましたが、鎖には鍵が掛けてありませんでした。自由になりたいと思えば自由になれました。しかし、その女性は自分に手枷と足枷がまだはめられていると思っていたのです。赤ん坊は乳が欲しくて泣いていましたが、母親の乳は出ませんでした。

その母親は、母親たちの中の巨人であって堂々と立っていましたが、膝は人形の膝のようでした。彼女の脚は木製でした。彼女の目は、重くて黒い覆いで覆われていたので見ることが出来ませんでした。しかも、瞳孔と虹彩があるはずのところには何もありませんでした。彼女は盲人で乞食の目をしていました。胸には米国の国旗をまとっていました。赤ん坊は泣き叫んでいました。

すると、イエス様が、「さあ見なさい!」と言われる声が聞こえました。

突然、空から絞首刑の首縄が現れました。よく見ると、その首縄は黒くて重い留め具を付けた人たちに取り付けられており、それは人形師(訳注:サタン)に繋がっていました。この黒っぽい留め具がロシア、ドイツ、中国、メキシコ、アラブ連合、および国連まで移動して行きました。彼らが絞首刑の首縄を操作しました。その輪縄は女性の首の周りにうまく掛けられました。彼女の首が締められました。すると、目がふくらみました。その時、女性の瞳孔と虹彩が元に戻りました。彼女は瀕死の状態でした。彼女が赤ん坊を取り落としました。すると、それが1,000もの破片に砕けました。それは粘土でできていたのです。

それから、イエス様は言われました、「見なさい!」

すると、夜間の泥棒のように、複数の潜水艦が米国に向けて砲撃を開始しました。以下の地域が砲撃を受けた地域です。必ずしも順序はこの通りではありません。1. ロサンゼルス、2 砂漠地帯、3ダラス、4ヒューストン、5リトルロック、6ミネソタ、7 ニューヨーク市、8 モバイル、9シカゴ、10シンシナティ、11ペンシルバニア、12.セントルイス、13ワシントンD.C.(3回)、14 アトランタ(一つは空中でシューシュー鳴りますが、他は命中)15バージニア、16フロリダ(数箇所)、17ニュウオーリーンズ、18 再びオハイオ、19ケンタッキー、20テネシー(2箇所)、21ミシガン(4箇所)、22オクラホマシティー、23 シャイアン、ワイオミング、24アラスカ、25 ハワイ。これですべてではありませんが大部分です。

あの女性が転びました。そして多くの人々が死ぬか瀕死の状態となりました。多くの地域で爆弾は人間だけを殺し、ビルはそのまま残りました。邪悪な者たちにはバビロンの強力なビルのための計画がありました。しかし、土と水は汚染され、食物は食べるのに適しません。

この国が崩壊するときには他の国々も同様になるでしょう。ルシファー(悪魔)がイエス・キリストと戦闘を開始するまでは全ての国々はお互いに敵対し会うでしょう。しかし、ルシファーは敗北します。そして、彼に続く者たちも同様です。彼に従う者たちに対する罰は厳しいものとなるでしょう。

上のビジョンは私が1997年5月16日に受けた短くて多少詳細に欠けるビジョンを補強するものです。そのビジョンの中で、私は核戦争が1998年に米国で起こるのを見ました。私は白い炎がさっとニューヨーク市を横切るのを見ました。外は雪でした。

多くのその後のビジョンでは、戦争が1998年の12月中頃に米国で始まることを示しています。1991年にあったような経済的崩壊がこの戦争に先だって起こるでしょう。

1997年、初夏のある日、私は庭の木陰で祈っていました。すると、私が祈った通りに、白い服を着た光り輝く御使いが私の前に現れたのです。「私についておいでなさい。」と御使いが言いました。

御使いについて行くと、間もなく私は霊の中で非常に高い山に登って行くのに気付きました。ついに私たちはその山の頂上にやって来ました。その時点で、私はこれが普通の山でないことに気付きました。山は輝きに満ち、その経験は光と喜びに満ちていました。二三週間後にたまたま私はイザヤ書2章2節に出会いました。

終わりの日に、主の家の山は、
山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、
すべての国々がそこに流れて来る。

あの時はまだ気が付いていなかったのですが、その夏の日の庭で主の山に登ったことは、主の山に登るという長いシリーズの始まりでした。この山の高い所から貴い主より受けた真理によって、私は繰り返し深く謙(へりくだ)らされて来ました。このような旅は一人の単純な人間の人生の中に偉大な光をもたらしたのでした。この人間の最も偉大な願望は神様に仕えることなのです。

1997年の初夏に、私の親愛なる兄弟は神様が私に異言の賜物を与えて下さるように、深い祈りを捧げてくれました。神様はその祈りに答えてくださいました。この天の言語の美しさの中で、また彼の聖霊の翼に乗って、神様は私を高い山まで連れて行ってくださり、そこで定期的に食物を与えて下さいます。

以下のページで、あなたの運命に関する多くのことをお読みいただくことになるでしょう。これらのページを通してあなたに伝えられた天的な真理は、永遠に多くの人々の人生に変化をもたらすことでしょう。

イエス様の愛につつまれて。
リンダ・ニューカーク


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