ラッパの祭り


私の愛する兄弟姉妹たち、2005年10月4日はラッパの祭りです。私たちの天の父の命令によると、以下に述べられる彼の「新しい契約」をこの日に彼の民の集会において配布し読むべきです。私たちの天の神は2004年9月21日に彼の民のためにこの新しい契約を私に与えられました。それは南アフリカの彼の民の集会の中で読み上げられました。私が南アフリカの集会でこの契約を読んでいた時のことです。外で風が巻起こり、その風が南アフリカの小さな教会のドアを凄い勢いで吹き抜け始めたのです。私が霊の中で外を見ますと、ひとかたまりの水域の上方に白馬に跨った私たちの救い主がおられました。


私が南アフリカにいた間に彼は何度か現れられました。そして彼が現れられる時には、私ははっきりと覚えていますが、突然風が巻き起こったのです。これは今まで全く見たこともないようなすさまじいもので実に壮大な光景でした。私たちの救い主の御名に、またあらゆるものの名にまさる御名に祝福あれ!彼こそは讃美に相応しいお方であられるからです!


私たちの父がこの契約を私に与えられて以来、多くの水が橋の下を通り過ぎました。南アフリカの多くの人たちがこれらの業に対して反抗したため、私は大きな試みや試練を通らされて来ました。しかし、彼らに対する私の心の願いは、あのすべての人たちが南アフリカで起こった非常に重要な霊的な行事に対して目を覚まして欲しいということです。これは地上に私たちの救い主の王国がまさに誕生することであるからです!


私が耐えたすべての迫害、また私を知っているというだけで多くの人たちが耐えなければならなかった大きな迫害は、他に何もなければ、この偉大なる出来事が実際に起こったことの大きな証しです。私は天におられる貴い父に感謝を捧げます。父は私を彼の愛と貴い御子、即ち私たちの愛する救い主のゆえに迫害を受けるにふさわしい者と勘定して下さいました。彼の聖なる御名に祝福あれ!彼にすべての讃美と栄光が永遠から永遠にあれ!


私はこの契約が本ホームページの中でオーディオで取れるようにしたいと望んでいます。これはまた父の命令でもありますので。


あなた方の姉妹、リンダ


「私の民との私の新しい契約」


天におられる私たちの父から


2004年9月21日



「私の愛する子よ、私は天にいるあなたの父です。そう、エホバ、ヤハウエ、いと高き神です。私の小さき者よ、ここに、私の聖なる山に上って来なさい。今日あなたのために一つの仕事があります。それは「私の民との私の新しい契約」というものです。あなたの前にあるものをご覧なさい。表紙に「私の新しい契約」と書かれた私の書物です。あなたの前に私の御子がいます。彼があなたの手にその書物のキーを渡します。このキーは他の誰の手にも合わないものです。なぜなら、このキーは今日の特別の日のために準備されていたキーであるからです。私の御子、ヤシュア、そう、イエスがこのキーをあなたの手に置くのです。この仕事はあなた、あなただけに与えたからです。私の子よ、この時この書物を開いてその内容を読みなさい。私の子よ、あなたがそこに書かれていることを読み、書かれていることを書き取るのです。それは、地球全体に離散している私の民がこれらの言葉を受け取るためです。なぜなら、サタン、ルシファー、悪魔の王国が立ち上がっており、また滅亡しつつあるからです。そして、私の王国が地上に立ち上げられます。

そこで、今、私の子よ、今日あなたはここに連れて来られました。このキーを受け取りなさい。あなたの仕事は書物の表紙の中央にある錠にそのキーを差し入れてその書物を開くことです。」


私は私たちの貴い救い主から黄金のキーを受け取り、書物の中央にそのキーを差し込みます。私はそのキーをほぼ360度回転します。カチッという音がします。すると突然キーは見えなくなり鍵穴も本と共に姿を消します。そして、私は確かに命の川なるものの中を歩いていることに気付きます。というのは水が非常に透明で私が一歩一歩進んで行くとだんだん深くなるのですが、水の色は依然として非常に美しいアクアマリン(訳注:水色をした宝石)の青だからです。私の前に最も美しい滝があります。この滝の中に美しい虹があります。滝のふもとにはアクアマリンや非常に大きな真珠および非常に多くのキラキラ輝くダイヤモンドで出来た美しくて滑らかな石があります。これらの宝石の中に美しい百合(ゆり)があります。そしてこれらの百合の匂いは最も高価な香水の香りを思い起こさせます。輝く石の中の一つにひとりのみ使いが今私の前に現れ、手を伸ばして私に巻物を手渡そうとします。


み使いが言います。「この巻物を取って食べなさい。この中にはあなたが書物の言葉を翻訳するのに必要なものがあるからです。」


私は川の縁まで泳いで行って、その巻物をみ使いから受け取ります。私がその巻物に触れると、それが手の中でしわくちゃになって縮み始めます。そして遂に虹色のボールになってしまいます。私がこのボールを口に入れると、それは純粋な砂糖のように非常に甘くて砂糖のように溶けます。しかし最後に私がこの巻物を飲み込んでしまうと、口の中が酸っぱくて苛性ソーダのようです。まるで渋柿を食べる感じです。私の口の中はそれはもう全く不快な感覚で、渋くて私の口からすべての水分がなくなっていくように思えて実に嫌な感じです。でも、この感じと味を取り除く方法がありません。


み使いは炎の目で私を見て、水から上がって非常に大きなアクアマリン石の上にある小さな机の所に座るようにと合図をします。私はその石の上にある机につくために岩を登ります。水を垂らしながら私はこの机の方に歩き始めます。しかし、私が机の乗っているアクアマリン石に触れるや否や私は元のように乾いてしまいます。私は小さな机の前に座ります。すると私の前に別の巻いた物があります。それは映写機の小さなスクリーンを思わせるものです。でもそのスクリーンは小さく私のすぐ前にあって映画のように遠くにではありません。私は椅子をもっと引いて机のすぐ前に来ます。そして私が机に触れると、そのスクリーンが作動し始めます。それはちょうどうまく調整されていないテレビのようです。


「スクリーンに息を吹きかけなさい」とみ使いが言います。私がそうすると、はっきりした言葉が現れ始めます。それはにこう見えます。

「私の民との私の新しい契約」



ヤハウエ、いと高き神



序 論


私の民よ、私の言葉を聴いて受け取りなさい。この日は私の民のための新しい日であるからです。昔、私はあなた方の間に石の板を置いて私の基本的な律法を刻みつけました。あなた方が十戒とうまく名付けたものです。この最初の時代はすべての者たちにとって困難な年月でした。それはあなた方が長い間異教徒の中にあって異教徒の道を受け入れたからでした。あなた方は神の霊を担うことができませんでした。私の民であるあなた方は暗黒とあらゆるたぐいの反逆で満ちていたからです。当時そこにおいて、あなた方にはこれらの戒めを担う準備ができていませんでした。そして遂には、長期間にわたる、またあからさまな反逆のためにあなた方は嗣業を得ることが出来なかったのです。

これらの戒めが宿営全体にわたって掲示された事実があったにもかかわらず、民としてのあなた方はそれに背きました。あなた方はこの戒めに反逆したため私の業において前進することから切り離されてしまいました。結局、反逆者たちは私が彼らのために備えたものを受け継ぐことが出来なかったのです。

これらの戒めは当時あなた方との私の契約でした。そして今なおこれらの戒めは私の民との私の契約の複雑な部分にあります。しかし、たとえそうだとしても、あなたがたは民として世代を通してあなた方は繰り返しこれらの戒めをさえも拒絶して来たのです。なぜなら、あなたがたは今もなお高ぶりと反逆に満ちているからです。

そして、あなた方がエジプトから連れ出された時もあなたがたは服従を理解することができませんでした。あなた方が反逆に満ちていたからです。しかし、あなた方は犠牲を理解することはできました。私の律法の多くが犠牲に基づいているのはそのためです。あなた方が犠牲を理解することはできたからです、しかし服従を理解することはできませんでした。

しかし時を経ても、あなた方は民として反逆し続けました。あなた方は前進させられていたにもかかわらず、また大いに祝福されていたにもかかわらず、私が世界中にあなた方を離散させるまで反逆し続けたのです。しかし、とは言え、私はいつもあなた方を愛し、いつもアブラハムとの私の最初の契約を覚えていました。そして、あなた方に対する私の愛のゆえに、私はけっしてあなた方を捨てませんでした。というのは、あなた方との私の協定によって私はあなた方に対して縛られているからです。そして、私に対するあなた方の反逆にもかかわらず、私はいつもある者たち、忠実な者たちを私自身に取っておきました。彼らの心が純粋であったのです。私はこのことが嬉しかったのです。


時が経って、私の御子ヨシュア(Yahshua 訳注:イエスのヘブル読み)をあなた方の間に送りました。彼は全人類のための究極の犠牲でした。彼はあなた方に対する彼の大いなる愛のゆえ来ることに同意しました。そしてまた私の彼に対するまたすべての人類に対する私の大いなる愛のゆえに、私は彼を送ったのです。彼はあなた方の自由のためのキーをもたらし、また万物のためにより高い秩序をもたらしました。

彼と共に新しい道が与えられました。この道は愛と服従に基礎を置いています。犠牲にではありません。それゆえに犠牲の動物と他に犠牲に関する厳密な形式の必要は無くなりました。焦点が外側から内側へと移行したのです。仕事を課す者(taskmaster)は、厳しい規制を課し犠牲を要求するような外側から適用される力ではありません。この場合、仕事を課す者は聖霊の断罪する力となりました。それでも聖霊は私の御子を人類の救い主として受け入れるすべての者たちの友であり仲間であるのです。

しかし、とは言え、この外的な規制から内的な規制への移行は簡単なことではありませんでした。多くの者たちがこの道を拒否しました。代わりに外的な規制という厳しい道を選んだのです。しかし実際には外的な規制という厳しい道を主張した者たちは私の御子がもたらした最も重要なメッセージ、即ち何よりもまして私を愛することと互いに愛し合うことを習得することに失敗したのです。しかし、この最も重要なメッセージが注目されるか否かということは、このメッセージの真実性と、それが私の御子によってすべての者たちに伝達された真理とが複雑に結合されている事実、とを何ら変更するものではありません。

もし全人類の霊的成長のための重要な移行を見逃すならば、その人は私の御子の来臨の理由を見逃しているのです。なぜなら、彼こそは人類にとって最後の、究極の、最も重要な犠牲として遣わされた者であるからです。

あなた方の中のだれかが宮を建てて動物を犠牲にし始めようとするなら、まさにその考えが私の御子を知ることができていないことを示す唯一の指標です。彼らに御子を知ることはできません。彼らは御子を知ることがないし、彼らの心の中に私の愛を持つことはあり得ないのです!律法主義者は律法主義者なのです。律法主義者が私の愛の要素の中で行動することはありません。彼らは律法の内側で行動します。そして、これ(訳注:律法)は人の外側に存在しているものなのです。

さて、私たちは見かけ上の矛盾に来ます。多く者たちはそれを認識しているかもしれません。私は十戒を廃棄したのでしょうか?いいえ、私はそれを廃棄してはいません。人が愛を理解することができる前に、彼は自由意志によってこの律法をまず自分に課し、それに服従しなければならないからです。それゆえに、これらの戒めは世界中のどんなグループの人々の規律ある行動にとっても非常に重要なことなのです。十戒のまさしくその基礎は、私に対する愛と、自己と他人への愛と敬意なのですから。

人々が信仰のシステムと人の振る舞いという事柄の中へじゅんじゅんと植え込まれる前に、最初にこれらの戒めを課さなければなりません。だから私はこれらの戒めを全然廃棄してはいないのです。とは言え、また私は過去の戒めを私の御子の誕生と私の純粋な愛の状態の中で生きることの重要性と共に全く新しい領域の中へと移行させました。

今、ここで見るすべてのことは霊的な前進です。これはあるグループの人々の霊的な前進です。そして、これらの或る者たちは現在、外的な規制と神の霊の断罪する力との大きな違いを理解する程度の所にいます。霊的に識別力のある個人は容易にその違いを見ることができ、人類すべての霊的な前進における重要な側面を見ることができるでしょう。

しかしまた同時に、見回せばわかるように非常に反逆的な民もいるのです。世界中の私の民は反逆的です。彼らは誇り高ぶっています。彼らは横柄です。彼らは私の戒めに従いませんし、彼らを解放するためにやって来た私の御子を愛さないのです。彼らは自由になりたくないのです!彼らは罪と反逆の中に生き、そして罪と反逆の中で幸福なのです。しかし、とは言え、彼らがそれを見ることができるか否かに関係なく、より崇高な計画が彼らのただ中にあるのです。このより崇高な計画はすべて求める者は見いだすことが出来ます。そしてこの計画は愛と赦しに基づいています。愛と赦しを切り離すことはできません。両者は一つであるからです。そして、ここにジレンマがあるのです。地球上には多くの宗教があります。これらの宗教は人類のすべてを分裂させます。そして、その中の最悪の分裂者がいわゆるキリスト教会です。その中で誤った伝道者が別の言葉を教えるのです。彼らは私の御子によってもたらされたものとは異なった別の教理を教えます。したがって、ここ、この地球上には、多くの人々と多くの宗教の大いなるそして混沌とした混乱があるのです。その多くは世界中の人々に対して大いなる邪悪なことを行うのです。なぜなら、彼らは偽りで満ちており、あらゆる邪悪な手段で満ちているからです。しかし、とは言え、これらあらゆる重大な誤りのただ中にあっても私の御子が遣わされました。そして、彼はより崇高な道をもたらしたのです。その道はすべての人にとって自由であり、実際に与ることが出来るのです。しかし、まさしくその拒否、または古い道をあきらめきれないことが地上の大多数の者たちをしてこのより崇高な道に近付き難くしているのです。それにもかかわらず、より崇高な道を行くことは可能です。あらゆる人々よりも、場所よりも、また物よりも先ずこの狭くてより崇高な道を望む人々はそれを見出すのです。現在、人類はその前進において重大な時点に来ています。その中にあって私はなお、別の契約を持っています。これはより厳密な道です。しかし、とは言え、私はこれを明らかにしつつあるのです。なぜなら、今は私を愛するようになり、私を第一とするようになり、自分よりも他人を愛するようになった人々が上へと移行するときだからです。これが最初の部分、つまりこの契約の導入部分の結論です。

(「私の子よ、ここで一休みしましょう。そして今日か明日、この契約の結論を出しましょう。あなたに精神的な訓練があるからです。あなたは疲れています。この契約には三つの部分があります。ですから、もし出来るならば、あなたが休息をとった後に今日戻ってきなさい。」「はい、私の父よ。」)

天におられる私たちの父は続けられます。


「私の小さな子よ、私は天にいるあなたの父、ヤハウエ、そう、エホバ、いと高き神です。さて、この契約の序論において土台となる基本的な事柄を語ったので、私たちはこの契約の第一の部分に来ます。人々が非常に反逆的であったので、犠牲の初期の必要性を私はあなたに示しました。そして彼らは服従を把握することに失敗しましたが、犠牲は理解することが出来ました。しかし、とは言え、私の小さき者よ、何千年にもわたってこれらの戒めに従おうと願った者は殆どいませんでした。これが私がその民を離散させた理由です。それにもかかわらず、私は私の民を常に愛してきました。彼らを見捨てることはできませんでした。なぜなら、あなた方はアブラハムの子たちでありアブラハムとの契約のゆえに私は彼らに縛られているからです。しかしあなた方は反逆によって私をしばしば怒らせました。そこで私はしばしばあなた方を罰したのです。私があなた方を罰しなかったなら、私があなた方を愛しているとどうして言えますか?愛がいつも土台にあったのです。愛が十戒の土台です。しかし人々の心はあまりにも愛が欠如していたので、私が彼らをエジプトから連れ出したとき、彼らはこの愛を把握することが出来ませんでした。

私のひとり子をあなた方の間に遣わしたことの土台は愛です。しかしとは言え、私の側の、またあなた方各々に対する彼の側のこの大いなる愛の行為を多くの者たちは未だに把握することが出来ないでいます。とは言え、私の小さき者よ、人類と共にあったこの業は最初から偉大なる愛の業であったのです。しかし人の立場から見て、あなた方の多くは、あなた方の霊的な前進ののために当初から取り込まれてきたこの基本的な概念を把握もしないし理解もしなかったのです。私の子よ、先へ進む前に何か質問がありますか?」

「いいえ、私の父よ、今はありません。」

「それでは、先へ進みましょう。」

「はい、私の父よ。」

「私の小さき者よ、私の聖なる山に登って来なさい。わずかの者しか知らないことをあなたに語ってあげましょう、私の小さき者よ。しかも、それを読んだ多くの者たちはあざ笑い軽蔑するでしょう。しかし覚えておきなさい。多くの人々はこの契約に気付かないままでいることでしょう。この契約は多くの者たちによって嘲笑されたり拒絶されるでしょうが、永遠の命を真剣に追い求める者たちはここに記されていることに注目するでしょう。なぜなら私は、すべての人々が見て理解する必要のある事柄は自由に取得出来るようにしているからです。私の子が来てより崇高な道をもたらしたので、ここにあるものは彼がもたらしたその道における目立たない原則(often-unnoticed principle)なのです。なぜなら、ある事柄は自由に話されて来なかったし、自由に与えられて来なかったからです。受け入れ準備のできている者たちが殆どいなかったからです。だから私の小さき者よ、ここに来てもう一度アクアマリン石(訳注:水色をした宝石)の上の机に着きなさい。そしてあなたが見ることを書きなさい。それを選び取るすべての者はより賢明な者であるでしょう。」

「はい、私の父よ、私はあなたの完全なご意志に歓喜します!この椅子に座りますと私は机の上に滑り上がって私の手が机のガラスの表面に触れます。すると再びスクリーンが見えます。そしてスクリーン上の言葉が読みやすくなります。スクリーン上には次のようにあります。

私の民との私の契約

ヤハウエ、いと高き神


私の民との私の新しい契約

ヤハウエ、いと高き神

パート1


「青色を心に留めよ。白色を心に留めよ。一つが終われば、別のものが始まるから!」すると突然、スクリーンが消え去ります。そして野原に若くて美しい少女が見えます。野原は花でいっぱいです。すぐこの若い女性が私だとわかりますが、私は別の時間と場所にいるのです。自分を見つめると、私は思うより年を取っているのがわかります。恐らく18才と21才の間です。しかし、私は今の私とはずいぶん違っています。髪は長く、蜂蜜色、そして多くのカール。


私の周りの野原は喜びの野原です。そしてこの野原は美しい花でいっぱいです。美しい花は愛と喜びに満ちています。これらの美しい花はすべて私の主と神の愛で輝きます。そしてこの場所で人はただ絶対的な愛と喜びを感じるのです。私はいつまでもここにいたい。暗闇も痛みも何の悪いこともないからです!すべてが完全な調和の中にあり、すべてが愛と喜びに満ちてすべての被造物が微笑みます。私は美しい花の間に立って、前のことばを思い出します。「青色を心に留めよ、白色を心に留めよ。一つが終われば、別のものが始まるから。」


この美しい花が色あせ始めます。私は今、椅子に戻ります。するとスクリーンが深くて美しい青色の部分と白色の部分の二つに分かれます。ですから私の心は大そう当惑してしまいます。私は座ってこのスクリーンを眺めて不思議に思い始めます。「これは何という残酷な冗談なのでしょうか」。私はこんな喜びと愛を知ったのに、今はすべてが過ぎ去ってしまうのですから。その喜びはどこ?その愛はどこ?私がこんなことを考えていると、青色と白色がスクリーンの上で位置を変え始めます。青色が以前はスクリーンの下半分の所にあったのが、今は左側に移ります。白色はスクリーンの右側に移ります。まだ、私の心は混乱します。これは何のことでしょうか。


私は座ってスクリーンを見つめながら、暗唱します。「青色を心に留めよ。白色を心に留めよ。一つが終われば、別のものが始まるから。」 それから、青色と白色がスクリーンの中で渦を巻き始めます。そして、もう色を切り分けることができないほど回転をしている色の渦です。私に見えるのは青色が回転する渦です。私は座ってこの渦を見ます。でも、今私は何をすればよいのかわかりません。すると、スクリーンの一番上に「青色を心に留めよ」、一番下の所に「白色を心に留めよ」ということばが見えます。それでも、私は何をしたらよいのかわかりません。この渦は回り続けます。でも私たちの父は私に何を見て欲しいのかわかりません。


ひとりのみ使いが私の椅子の所へやって来て、私にハンカチを手渡します。み使いが、「これを取りなさい。あなたにはこれが必要です。沢山の涙を流すからです。」と言います。


そこで、私はハンカチを受け取ります。そして待ちます。スクリーンが暗くなって、なぜこんなことが起こったのかわからないからです。しかし、突然、全く突然に、私はこの暗闇の中に取り込まれます。そして多くの人々の悲鳴が聞こえます。田舎全体が燃えています。そして煙の臭いで私は息苦しくなります。私の周りにいる、私の知人で私たちの父の預言者の中のだれかが、私の所へやって来て言います、「煙を見なさい。火を見なさい。」近くに大きな木が燃えています。それが地面に崩れ落ちます。私たちの父のひとりの女預言者がコップを手に持って私のところへやって来ます。彼女が誰だかよくわかりません。彼女の顔はすすでいっぱい、しかも、彼女の美しい顔は涙で漂白されているからです。でも、炎の輝きの中で私は彼女が誰だかわかります。私はスープのコップを受け取ります。ああ、南アフリカにとって陰鬱な時でしょう!燃える炎が地を焼き尽くし、煙は空を覆い尽くします。私の目が霊の中で丘の上まで私を運びます。そして、涙目の中で私は多くの炎と多くの殺戮を見ます。


み使いが現れて炎にガソリンを注ぎます。そして、彼女が私に言います。「もう三ヶ月」。私は彼女に言います。「もう三ヶ月で私にどうせよと言うのですか。食べ物はわずかのスープだけで他には何もありません」。み使いは私を見て言います。「南アフリカの人々には二重の苦悩と、二重の問題。」


トラックの車輪の下によじ上って、私はスープの入ったコップを取って、涙します。「父よ、あなたは私たちを、あなたの子たちを捨てられたのですか?」 すると、私は暗い夢から覚めます。私たちの救い主が私の前におられます。彼は白い服を着ておられてとても美しいです!私の主よ、ああ、私の美しい救い主よ、何が起こっているのですか?大きな破壊が起こっています。そして、地は燃えています。食べ物はほとんど残っていないのに、人々はいったいどうするのですか?」


彼は言われます。「私の小さき者よ、私が食物です。私が命です。私を選び取る者は生きるのです。邪悪な者は塵と共に葬られます。」


私は涙を拭いて顔を整えます。見上げると彼は行ってしまわれて、気付くとまたも私がトラックの下にいます。私の心はとても重くなります。大きな悲しみが私の心を捉えて涙は私のほおから溢れます。それから、私はすすで覆われた手で顔を拭きます。私はもう自分ではどうすることも出来なくなってむせび泣き始めます。すると二人の預言者が手を伸ばして私を抱擁してくれます。今、私はトラックの下から降り始めます。一人の女預言者が私に言います。「いらっしゃい、家に帰りましょう。私たちの救い主は道を作って下さいました。助けは近づいています。」


ちょうどこの言葉があった時に私の前のスクリーンが揺らめきます。そして、またもやスクリーンに青色と白色が見えます。青色がスクリーンの上に白色が下の位置にあります。私は小さな机に座ります。ハンカチがすすと涙でいっぱいです。私は顔を打ち伏してどうにも耐えられなくて泣きじゃくります。


ああ、私の父よ。ああ、父よ。ああ、私の父よ、これはどんな種類の契約なんでしょう?私はとても悲しいのです。この地球上の私たちの未来はあまりにも暗いです。するとその時サイレンの音が聞こえます。そして、私の前のスクリーン上にこのようなことばが見えます。「あなたは最初の大きな学科を学びました。」


そのことばを見て私は独り言を言います、『ですが、私は以前この学科を学びました。』すると、スクリーンのことばが揺らめき始めます。それから私たちの父が再び話しておられるのが見えます。


私はエホバ、そう、ヤハウエ、いと高き神である。私がここで話すことに注目しなさい。これはあなた方私の民との私の契約の始まりだからである。そしてこの契約に関してあなた方がはっきりと掴んでおかなければならない最初で最も基本的なこと、それはあなた方が知っている通り、地上の人生は空しいということである。なぜなら、すべてが間もなく破壊されるからである。あなた方が地上で大切なまた価値有るものと思うものは罠に過ぎない。あなた方は自分の富の中で死ぬからである。あなた方は自分の財産の中で滅びるのである。なぜなら周知の通り、地上の人生には間もなく終わりが来るからである。あなた方がその戒めに服従することに習熟していないならば、そして先ずその土台が愛であることを理解していないならば、あなた方は私を知ることが出来ないし私の御子を知ることも出来ない。しかしあなたが愛に満ちいるならば、その時、その時に限って、あなた方は私と私の御子を見ることができる。これこそ私の御子が人類すべてに対して完成した契約である。


あなた方は言うかも知れない、『いや、これは新しい契約でない』と。しかし私は言う、『いや、そうである』と。青色に心を留めよ、白色に心を留めよ。一つが終わるところでは、また別のことが始まりから。あなた方にはこの意味がわからないことを私は知っている。しかし、私にはその意味がわかっている。なぜなら、私がその青色であり、私がその白色であるからである。私はアルファでありオメガである。そしてこれが、地上で真に私から永遠の命の贈り物を受ける準備ができている私の民のための目的である。この地球を卒業して永遠の命を受ける準備ができている者たちは、既に去る準備ができているであろう。あなた方は身辺を整理するであろう。あなた方は物質の世界から出て、それをすべて捨て去る準備ができているであろう。もし、自分の敵さえもを愛するという、より崇高な愛の概念を把握しなければ、あなた方は永遠の命とそれに伴うすべてのこと、というより崇高な概念を理解できないであろう。これが新しい契約だからである。あなた方はそのための準備をしなければならない。


大部分の者たちが失敗して約束の地に到達することが出来なかったように、またもや大部分の者たちが失敗して永遠の命という私の約束を獲得できないであろう。しかし、あなた方との私の契約はこれである。永遠の命はそれを受ける準備の出来ている人々への私の贈り物である。しかし戒めに従うことでまだもがいているなら、あなた方は永遠の命を受ける準備ができていないのである。今なおあなた方が依然として否定的なことや他の多くの感情で満たされているなら、あなた方は永遠の命を受ける準備ができていないのである。もしあなた方が愛に満ちていないで自由にすべての人を赦すことが出来ないなら、あなたは永遠の命を受ける準備ができていないのである。準備のできている者たちは物質の世界の空しさを理解し、既に彼らの足は次の世界に備えられている。この時が大いなる移行の時だからである。しかしその時はまた大いなる自由の時でもある。準備のできている者たちは来るべき世のため霊的に準備されているから。そこで、あなた方は尋ねる。「では、この新しい契約とは何でしょう」。そこで、あなた方、私の民との契約について次の部分でより解りやすく説明することにしよう、と私は言おう。


私の民との私の新しい契約

ヤハウエ、いと高き神


パートII


あなたの足からほこりを払いなさい。あなたは今聖なる地を歩いているからです! この聖なる地はあなた自身の霊の構成です。そこは、今私の真理で満ちています。そこは私の純粋さに満ちているべきです。そこは私の義と私の愛で満ちているべきです!この遅い時間にあなたは止まって正しいことをしているかどうかと問う必要はないはずです。あなたが正しい道にいるのを自動的に知るべきです。もしあなたが止まって自分の選択が正しいかどうかを問わなければならないのなら、あなたは戒めに習熟していません。あなたは私の純粋な愛の器にはなっていません。多くがまだ精錬の炎を通っているので、これは当分問題ありません。あなたが是か非かを行ったかどうかを立ち止まって考えなければならないなら、あなたは永遠の命の嗣業を受ける資格がないほどに霊的に非常に遅れている、という時が来ます。その時は近いのです。あなたの魂を清め、あなたの心を清め、あなたの霊を清めて変遷のために備えをするのに十分な時間がない時が来るでしょう。なぜなら、内側の暗黒が、永遠の命の私の約束を望んでいるすべての人にとってつまずきの石となっているからです。


だから、まず第一にあなたは愛の中を歩き服従の中を歩かなければなりません。しかし、愛と服従は第二の天性であってはなりません。これらのものはあなたが思い出さなければならないようなものであってはなりません。それらは完全に自動的でなければなりません。何が正しいかについて最早考える必要がない程にあなたは愛と純粋さと真実に満ちていなければなりません。あなたは自動的に正しいことを行います。なぜなら、あなたが私の意志の中で行動するとき、あなたが律法になり、律法があなたになるからです。この過程は自動的になります。というのは、あなたの意図が純粋であるからです。そしてあなたの意図が純粋であって利己的でないならば、あなたは私の純粋な愛の中で行動することができます。あなたが私の純粋な愛の中で、これは私の意志でもあるのですが、その中で行動する時間が長ければ長いほど、それは容易になってきます。そして、それが容易になればなるほど、あなたの霊とあなたの魂はより純粋になります。


あなたが純粋であればあるほど、あなたはいよいよ白く、またいよいよ輝くでしょう。そして、純粋な愛から行動することがより容易になってきます。そのとき、あなたは律法であり、律法はあなたです。しかし、あなたは律法から自由であり律法はあなたから自由です。あなたがそれよりも高いところにいるからです。前にあなたに言ったように、律法があなたの中にあって『是』とします。しかし、愛は律法を遙かに凌ぐのです。


このことは、私があなたの中に私のキーを置いた結果、あなたがあらゆる美しいことに、あらゆる純粋なことに、あらゆる聖なることに、また私の王国の中にあるあらゆることに私のキーとなる、という位置にあることを示します。そして、地それ自体は最早やあなたを縛っていることができません。そして、あなたは私の意志を行うことと私の愛を広げること以外に地に対しては何の関心も持ちません。これがすべての人に対しての自由という私の贈り物です。


では私の契約とは何でしょう?私の新しい契約とは私の純粋で真実な愛の自由です。真にこの道の中を歩く者たちにとってはこれが卒業の時です。私の純粋で真実の愛の中を歩む者たちの心の中に私のキーを置いた時、この時こそ栄光の時です。そして、多くの者たちはその日を待ち望んできたのです。


そしてこのキーは何でしょう?それは自由への私のキーです!それは私の聖なる山へ至る私の完成した入場券です。あなたが知っているように、それは地からのあなたの自由です。これが私の新しい契約であり、この契約は、地上の私の王国の始まり、そして真に相応しい者たちへの永遠の命という贈り物をする合図となります。しかしその道は狭く、門はまっすぐであることをあなたは昔から知っていました。ほんのわずかの者たちがこの道を見出し、更にわずかの者が水準に達するのです。


そこで、私の子よ。あなたはこの日懸命に働き私が予想したよりも一生懸命に働きました。そしてこの契約を結論づけました。何か質問がありますか?


ああ、私の父よ、私は圧倒されて申し上げる言葉もありません。私の頭はくらくらしています。そして、私の思いが色んな方向にさまよっています。あなたの契約は最初からこのようなものだったと理解してよいのでしょうか。


1. アブラハムを通しての約束(Promises)


2. 外側の律法(The External Laws)、十戒


3. 内側の律法(The Internal Laws)、私たちの救い主を通しての神の霊、聖霊の有罪を宣告する力。これは服従と愛に基づいています。


4. 愛は律法であり律法はあなたの純粋な愛の中で容易に表現されます。そしてこれが行われるとき、私たちはあなたのみ前で、自由の、純粋さの、真心の、清潔さの地点に到達します。私たちはあなたの意志と一つです。そして、私たちは何の意識的な認識もなしにあなたの完全な意志を実行します。この時点で、私たちはあなたの聖なる山へ至るあなたのキーを受け取ります。そして永遠の命の贈り物を受ける準備ができています。これまで私たちの足があなたの霊の世界にあって重く植え込まれて来ました。これから私たちはあなたの霊の中で自由に歩きます。


私の小さな者よ、その通りです。あなたは外側の規制から出て内側の規制へ、つまり無規制(直訳:ノーコントロール)へと移行するのです。なぜなら、あなたは律法と一つだからです。あなたは愛の表現であり私の全き意志の美しい拡大でもあるのです。


ああ、父よ、これは大きな事です。そして多くの人がこの情報によって圧倒されるでしょう。でも私はあなたがここで与えて下さったたことを彼らが把握することが出来るようにと祈ります。


私の小さき者よ、受け入れる準備の出来ている者はそれを理解するでしょう。しかし多くの者はそれを馬鹿にしたり嘲笑するでしょう。彼らには決して理解出来ないことだからです。


私の父よ、私は二日の仕事を一日で終えたように思えます!


そうです、私の小さき者よ。それから、あなたは喉が乾いています。また少し空腹です。望むなら自由に食事をなさい。断食の目的は達成したからです。ラッパの祭りの前にこれをタイプしなさい。それが今年の祭りの日と、毎年この特別の祭りの日に、私の子が戻る時まで会衆に対して大声で読まれ、配布されるべきだからです。これが私の新しくて美しい契約です。私は天にいるあなたの父、そうです、ヤハウエ、そうです、エホバ、いと高き神です。


目撃したことを、口述を受けて、記録しました。
2004年9月21日


リンダ・ニューカーク

白バッファローの子の女
(White Buffalo Calf Woman)


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