序 論


私の民よ、私の言葉を聴いて受け取りなさい。この日は私の民のための新しい日であるからです。昔、私はあなた方の間に石の板を置いて私の基本的な律法を刻みつけました。あなた方が十戒とうまく名付けたものです。この最初の時代はすべての者たちにとって困難な年月でした。それはあなた方が長い間異教徒の中にあって異教徒の道を受け入れたからでした。あなた方は神の霊を担うことができませんでした。私の民であるあなた方は暗黒とあらゆるたぐいの反逆で満ちていたからです。当時そこにおいて、あなた方にはこれらの戒めを担う準備ができていませんでした。そして遂には、長期間にわたる、またあからさまな反逆のためにあなた方は嗣業を得ることが出来なかったのです。

これらの戒めが宿営全体にわたって掲示された事実があったにもかかわらず、民としてのあなた方はそれに背きました。あなた方はこの戒めに反逆したため私の業において前進することから切り離されてしまいました。結局、反逆者たちは私が彼らのために備えたものを受け継ぐことが出来なかったのです。

これらの戒めは当時あなた方との私の契約でした。そして今なおこれらの戒めは私の民との私の契約の複雑な部分にあります。しかし、たとえそうだとしても、あなたがたは民として世代を通してあなた方は繰り返しこれらの戒めをさえも拒絶して来たのです。なぜなら、あなたがたは今もなお高ぶりと反逆に満ちているからです。

そして、あなた方がエジプトから連れ出された時もあなたがたは服従を理解することができませんでした。あなた方が反逆に満ちていたからです。しかし、あなた方は犠牲を理解することはできました。私の律法の多くが犠牲に基づいているのはそのためです。あなた方が犠牲を理解することはできたからです、しかし服従を理解することはできませんでした。

しかし時を経ても、あなた方は民として反逆し続けました。あなた方は前進させられていたにもかかわらず、また大いに祝福されていたにもかかわらず、私が世界中にあなた方を離散させるまで反逆し続けたのです。しかし、とは言え、私はいつもあなた方を愛し、いつもアブラハムとの私の最初の契約を覚えていました。そして、あなた方に対する私の愛のゆえに、私はけっしてあなた方を捨てませんでした。というのは、あなた方との私の協定によって私はあなた方に対して縛られているからです。そして、私に対するあなた方の反逆にもかかわらず、私はいつもある者たち、忠実な者たちを私自身に取っておきました。彼らの心が純粋であったのです。私はこのことが嬉しかったのです。


時が経って、私の御子ヨシュア(Yahshua 訳注:イエスのヘブル読み)をあなた方の間に送りました。彼は全人類のための究極の犠牲でした。彼はあなた方に対する彼の大いなる愛のゆえ来ることに同意しました。そしてまた私の彼に対するまたすべての人類に対する私の大いなる愛のゆえに、私は彼を送ったのです。彼はあなた方の自由のためのキーをもたらし、また万物のためにより高い秩序をもたらしました。

彼と共に新しい道が与えられました。この道は愛と服従に基礎を置いています。犠牲にではありません。それゆえに犠牲の動物と他に犠牲に関する厳密な形式の必要は無くなりました。焦点が外側から内側へと移行したのです。仕事を課す者(taskmaster)は、厳しい規制を課し犠牲を要求するような外側から適用される力ではありません。この場合、仕事を課す者は聖霊の断罪する力となりました。それでも聖霊は私の御子を人類の救い主として受け入れるすべての者たちの友であり仲間であるのです。

しかし、とは言え、この外的な規制から内的な規制への移行は簡単なことではありませんでした。多くの者たちがこの道を拒否しました。代わりに外的な規制という厳しい道を選んだのです。しかし実際には外的な規制という厳しい道を主張した者たちは私の御子がもたらした最も重要なメッセージ、即ち何よりもまして私を愛することと互いに愛し合うことを習得することに失敗したのです。しかし、この最も重要なメッセージが注目されるか否かということは、このメッセージの真実性と、それが私の御子によってすべての者たちに伝達された真理とが複雑に結合されている事実、とを何ら変更するものではありません。

もし全人類の霊的成長のための重要な移行を見逃すならば、その人は私の御子の来臨の理由を見逃しているのです。なぜなら、彼こそは人類にとって最後の、究極の、最も重要な犠牲として遣わされた者であるからです。

あなた方の中のだれかが宮を建てて動物を犠牲にし始めようとするなら、まさにその考えが私の御子を知ることができていないことを示す唯一の指標です。彼らに御子を知ることはできません。彼らは御子を知ることがないし、彼らの心の中に私の愛を持つことはあり得ないのです!律法主義者は律法主義者なのです。律法主義者が私の愛の要素の中で行動することはありません。彼らは律法の内側で行動します。そして、これ(訳注:律法)は人の外側に存在しているものなのです。

さて、私たちは見かけ上の矛盾に来ます。多く者たちはそれを認識しているかもしれません。私は十戒を廃棄したのでしょうか?いいえ、私はそれを廃棄してはいません。人が愛を理解することができる前に、彼は自由意志によってこの律法をまず自分に課し、それに服従しなければならないからです。それゆえに、これらの戒めは世界中のどんなグループの人々の規律ある行動にとっても非常に重要なことなのです。十戒のまさしくその基礎は、私に対する愛と、自己と他人への愛と敬意なのですから。

人々が信仰のシステムと人の振る舞いという事柄の中へじゅんじゅんと植え込まれる前に、最初にこれらの戒めを課さなければなりません。だから私はこれらの戒めを全然廃棄してはいないのです。とは言え、また私は過去の戒めを私の御子の誕生と私の純粋な愛の状態の中で生きることの重要性と共に全く新しい領域の中へと移行させました。

今、ここで見るすべてのことは霊的な前進です。これはあるグループの人々の霊的な前進です。そして、これらの或る者たちは現在、外的な規制と神の霊の断罪する力との大きな違いを理解する程度の所にいます。霊的に識別力のある個人は容易にその違いを見ることができ、人類すべての霊的な前進における重要な側面を見ることができるでしょう。

しかしまた同時に、見回せばわかるように非常に反逆的な民もいるのです。世界中の私の民は反逆的です。彼らは誇り高ぶっています。彼らは横柄です。彼らは私の戒めに従いませんし、彼らを解放するためにやって来た私の御子を愛さないのです。彼らは自由になりたくないのです!彼らは罪と反逆の中に生き、そして罪と反逆の中で幸福なのです。しかし、とは言え、彼らがそれを見ることができるか否かに関係なく、より崇高な計画が彼らのただ中にあるのです。このより崇高な計画はすべて求める者は見いだすことが出来ます。そしてこの計画は愛と赦しに基づいています。愛と赦しを切り離すことはできません。両者は一つであるからです。そして、ここにジレンマがあるのです。地球上には多くの宗教があります。これらの宗教は人類のすべてを分裂させます。そして、その中の最悪の分裂者がいわゆるキリスト教会です。その中で誤った伝道者が別の言葉を教えるのです。彼らは私の御子によってもたらされたものとは異なった別の教理を教えます。したがって、ここ、この地球上には、多くの人々と多くの宗教の大いなるそして混沌とした混乱があるのです。その多くは世界中の人々に対して大いなる邪悪なことを行うのです。なぜなら、彼らは偽りで満ちており、あらゆる邪悪な手段で満ちているからです。しかし、とは言え、これらあらゆる重大な誤りのただ中にあっても私の御子が遣わされました。そして、彼はより崇高な道をもたらしたのです。その道はすべての人にとって自由であり、実際に与ることが出来るのです。しかし、まさしくその拒否、または古い道をあきらめきれないことが地上の大多数の者たちをしてこのより崇高な道に近付き難くしているのです。それにもかかわらず、より崇高な道を行くことは可能です。あらゆる人々よりも、場所よりも、また物よりも先ずこの狭くてより崇高な道を望む人々はそれを見出すのです。現在、人類はその前進において重大な時点に来ています。その中にあって私はなお、別の契約を持っています。これはより厳密な道です。しかし、とは言え、私はこれを明らかにしつつあるのです。なぜなら、今は私を愛するようになり、私を第一とするようになり、自分よりも他人を愛するようになった人々が上へと移行するときだからです。これが最初の部分、つまりこの契約の導入部分の結論です。

(「私の子よ、ここで一休みしましょう。そして今日か明日、この契約の結論を出しましょう。あなたに精神的な訓練があるからです。あなたは疲れています。この契約には三つの部分があります。ですから、もし出来るならば、あなたが休息をとった後に今日戻ってきなさい。」「はい、私の父よ。」)

天におられる私たちの父は続けられます。


「私の小さな子よ、私は天にいるあなたの父、ヤハウエ、そう、エホバ、いと高き神です。さて、この契約の序論において土台となる基本的な事柄を語ったので、私たちはこの契約の第一の部分に来ます。人々が非常に反逆的であったので、犠牲の初期の必要性を私はあなたに示しました。そして彼らは服従を把握することに失敗しましたが、犠牲は理解することが出来ました。しかし、とは言え、私の小さき者よ、何千年にもわたってこれらの戒めに従おうと願った者は殆どいませんでした。これが私がその民を離散させた理由です。それにもかかわらず、私は私の民を常に愛してきました。彼らを見捨てることはできませんでした。なぜなら、あなた方はアブラハムの子たちでありアブラハムとの契約のゆえに私は彼らに縛られているからです。しかしあなた方は反逆によって私をしばしば怒らせました。そこで私はしばしばあなた方を罰したのです。私があなた方を罰しなかったなら、私があなた方を愛しているとどうして言えますか?愛がいつも土台にあったのです。愛が十戒の土台です。しかし人々の心はあまりにも愛が欠如していたので、私が彼らをエジプトから連れ出したとき、彼らはこの愛を把握することが出来ませんでした。

私のひとり子をあなた方の間に遣わしたことの土台は愛です。しかしとは言え、私の側の、またあなた方各々に対する彼の側のこの大いなる愛の行為を多くの者たちは未だに把握することが出来ないでいます。とは言え、私の小さき者よ、人類と共にあったこの業は最初から偉大なる愛の業であったのです。しかし人の立場から見て、あなた方の多くは、あなた方の霊的な前進ののために当初から取り込まれてきたこの基本的な概念を把握もしないし理解もしなかったのです。私の子よ、先へ進む前に何か質問がありますか?」

「いいえ、私の父よ、今はありません。」

「それでは、先へ進みましょう。」

「はい、私の父よ。」

「私の小さき者よ、私の聖なる山に登って来なさい。わずかの者しか知らないことをあなたに語ってあげましょう、私の小さき者よ。しかも、それを読んだ多くの者たちはあざ笑い軽蔑するでしょう。しかし覚えておきなさい。多くの人々はこの契約に気付かないままでいることでしょう。この契約は多くの者たちによって嘲笑されたり拒絶されるでしょうが、永遠の命を真剣に追い求める者たちはここに記されていることに注目するでしょう。なぜなら私は、すべての人々が見て理解する必要のある事柄は自由に取得出来るようにしているからです。私の子が来てより崇高な道をもたらしたので、ここにあるものは彼がもたらしたその道における目立たない原則(often-unnoticed principle)なのです。なぜなら、ある事柄は自由に話されて来なかったし、自由に与えられて来なかったからです。受け入れ準備のできている者たちが殆どいなかったからです。だから私の小さき者よ、ここに来てもう一度アクアマリン石(訳注:水色をした宝石)の上の机に着きなさい。そしてあなたが見ることを書きなさい。それを選び取るすべての者はより賢明な者であるでしょう。」

「はい、私の父よ、私はあなたの完全なご意志に歓喜します!この椅子に座りますと私は机の上に滑り上がって私の手が机のガラスの表面に触れます。すると再びスクリーンが見えます。そしてスクリーン上の言葉が読みやすくなります。スクリーン上には次のようにあります。

私の民との私の契約

ヤハウエ、いと高き神



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